由来・沿革
本寺は大正7年(1918年)荒川最勝師が東京市西巣鴨町池袋不動堂に信行寺出張所として開教しました。
この不動堂は、大正初年に高尾山不動堂として建てられていたものでした。
信行寺出張所として開教するにあたり「高雄山説教所」と公称し、昭和4年(1929年)信徒の増加に伴い、北豊島郡下練馬字栗山の現在地に奈良県吉野郡飯貝より信行寺の寺籍を移し、寺基が定まりました。
昭和30年6月、築地本願寺に模して鉄筋約90坪の本堂の建設に着手、同32年(1957年)4月に落成落慶讃法要を執行しました。
本堂屋上には梵鐘があり、正6時に無言の説法として周辺に法音を伝えています。なお、境内に開基荒川最勝師像が建立されています。
この不動堂は、大正初年に高尾山不動堂として建てられていたものでした。
信行寺出張所として開教するにあたり「高雄山説教所」と公称し、昭和4年(1929年)信徒の増加に伴い、北豊島郡下練馬字栗山の現在地に奈良県吉野郡飯貝より信行寺の寺籍を移し、寺基が定まりました。
昭和30年6月、築地本願寺に模して鉄筋約90坪の本堂の建設に着手、同32年(1957年)4月に落成落慶讃法要を執行しました。
本堂屋上には梵鐘があり、正6時に無言の説法として周辺に法音を伝えています。なお、境内に開基荒川最勝師像が建立されています。